私は日本葬送文化学会の常任理事であって、葬儀文化の研究を行って来ました。今の高額になる葬儀が流行り出したのは戦後だが、実際には明治時代から行われていた記録がある。しかし、この様な葬儀は有名人やそれなりの地位の人達の葬儀であり、庶民の葬儀ではなかった。庶民が今風の葬儀を執り行う様になったのは明らかに戦後である。
せて、葬儀社の役割は何か?
今の葬儀社の役割は人足集めからだと。これは江戸末期から行われていた。しかし、葬儀を執り行うようになったのは、源平の大将が戦場で亡くなった武者の死体を片付けるところからだと記録が残っているみたいだ。記録が私の手元にないので明らかではないが。
前置きが長くなったが、現在の葬儀社の役割は何か?
それは、故人を鄭重に見送り、僧侶または宗教者のサポートをするのが葬儀社ではないか。葬儀社の役割は地域性があり、葬儀を執り行うホスト役として食事も含めて全てを行うところもあれば、飲食以外のほか全てを行うところもある。都内では値段だけ決めて発注し、最後は集金だけをするブローカーすらある。しかし、このやり方は大都会のみしか通じない。
従って葬儀社の役割とは地域によって変わることをまず知って欲しい。ブローカーがいけないのではなく、各自の仕事を責任持ってやっているかである。
葬儀屋の問題は、本文にもあったが庶民までもが盛大に執り行う習慣が根付いてしまっている、その原因の一端を担っていることではないかと思う。
残された家族に負担を強いるような葬式をしたくないという気持ちが強い私は、僧侶へのお布施を含め、虚勢と差別にまみれた歪んだ仏教観に染まった世の中を変えなければいけないと常々考えている。そのための実践はできていないので偉そうなことは言えないが・・・。
意味や内容を考えずに、手軽に済ませたいと考える風潮もあり、葬儀屋のいいなりにことが運ぶ傾向があると思う。そのことを最も重大に捉えなければならないのは、僧侶と私たち自身だ。
その通りです。
とっても建設的なご意見、ありがとうございます。