Yahooのニュースでこのような記事が流れている。
「http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110626-00000099-san-soci」

さて、ここで気になったのが遺体の処理である。
長引けば長引くほど精神的な被害は大きくなる。
しかし、引取人がいないのではどうしようもない。名前がわかっても、残された人たちが点々バラバラになっていることさえ。もう故郷へには帰れない人も沢山いる。そして気付いていても、引き取れる状況でない人も大勢いる。
本来は自分の家の墓があっても、流されてしまった人も少なくはない。どうしようもない状況に追い詰められている。無縁仏の墓地に 入りざるを得ない状況もある。ショックで記憶を失ってしまった人もいなくもない。
毎日更新される警察庁の被害状況の規模は大きくなる一方。
http://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/higaijokyo.pdf
忘れてはならないのはこれは直接の被害であって、後から亡くなった(病状が悪化したとか、その後の何らかの事情で亡くなった)人の数は入っていない。
第三者(大家さんや友人)がお亡くなりになった方を確認できても親族でない場合は決定権がないからまたそのまま滞ることすらある。その親族も行方不明になっていたりする。お線香を上げたいがそんな状況ですら未だなっていない現場。そこで政治が混乱している。民主党だの自民党だの言っている場合ではないが、政治が混乱していても国民は動かない。
葬儀の現場を通じて、まだまだ混乱は続く感じがする。答えが見えないだけではなく、涙で前がしっかり見えないのが事実ではないか。