シンギュラリティの危険性

「シンギュラリティ」とは「特異点」のことです

簡単に言ってしまえば、一つのことを完璧にこなす単純作業のシステム。
これについて2045年には人工知能が人間の叡智を超えるという話があり、もはや弁護士や医者などは必要なくなるということです。
つまり、このように過去のデータを用いて、新しいパラダイムを生み出すことができるシステムが構築されると。これがシンギュラリティです。

クリスタルメソッド社のYouTubeアカウントより

なぜ私がこんなことを言うかというと、実は、クリスタルメソッド社は私が営業顧問を務める会社の一つです。
そこが雇用の変化を訴えています。

私のブログの中で「人工知能」と検索すると3つの項目がヒットされます。(これを入れると4つ)

https://yeyshonan.com/?s=%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD

ここで課題となるのは「人間がどのように暮らしていくか」です

さて、この「シンギュラリティ」がたくさん増えることでどうなるかを考えていきたい。

特異点がたくさん集まることによって違うパラダイムができるはず。

実際、これが「ノーマリティ」と言っても過言ではなかろうか。
多様性を生み出すには、たくさんの特異点が必要としている。
その中で、どの段階が正しいのかを議論するのではなく、どれも受け入れる体制が必要である。

シンギュラリティと対語として「プルラリティ」(Plurarity)がある。
こことは少し違う。

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尖ったものがたくさんある。
剣山を想像して欲しい。

テクノロジーが進化することで、ある一定の知識を持つことで、人と機械と入れ替わる。
そうなることで、人間は機械に勝てなくある傾向がある。
すでに、チェスなどでは、人間は人工知能には勝てない。

そうなると仕事は失われるのか?

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仕事は新たに生まれるだろう。
古いパラダイムにしがみついているのも問題がある。
お葬式、宗教、そして「死」そのものが新たな考え方が存在してくるだろう。

「死ってどういうもの?」

どっちの方向が正しいとか間違えとではなく、すべての選択肢が正しいと思うしかない。

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