4年前(2013年2月1日)に書いて投稿されずに保存のままの記事を発見。
これで2件目・・・
Wordpressのシステム、なんか酷い(笑)
気づかなかった私の問題(自爆!)
以前にここでも紹介したが、映像の祭壇を活用してはどうかと。
今の宗教者が本当に輿が必要だと騒ぐほど真面目に信仰している人は少ないと思う。たしかに私の経験でお寺さん1名いらした。これは立派だと感じた。
さて、その他に拘る宗教者はどうか?
キリスト教会は生花に拘る。それは祭壇の花を抜き取ってお別れをしたいと言うからだ。祭壇は仏式であろうがキリスト式であろうが花祭壇のお花はレンタルだと言う意識が乏しいからだろう。所有権は葬儀社にあり、借りている物だと言うことだ。
周囲が出してくださった生花は別だ。これは遺族の物で、お別れに使うのは問題ない。
さて本題…
祭壇を映像にして何が悪いか?
プロジェクタを利用してもよいが、実際は大きめの超薄型液晶テレビの方がよい。この中に遺影や思いでの写真や映像を入れるか、DVDやBlu-rayで流すこともいいと思う。
ご本尊と火葬場へ持っていく写真はちゃんとした物を利用するだけ。一番困るのは遺族が写真や映像データを発掘すつのは至難の技だ。
ここから書き足す・・・
4年前に書いて間に事情が変わった。
葬儀の場でサイネージが多く活用されるようになった。
祭壇そのものを投影することは今に始まったことではないが、映画館みたいなホールが必要でもある。
そこに投資できるか?
そして大きくは、葬儀社が「祭壇料」として投影したものではおカネをいただくことが難しくなる。
ビジネスとして、技術のサービスをおカネに転換できる仕組みが崩壊しているからだ。
そして映像はあくまでも映像でありがたいものではない。
遺影はもちろんきちんとプリントしたものだ。
少し前まで「インクジェットプリンタで出力は写真じゃない!」って騒ぐ年配者はすでにいなくなった。もしまだ存在するようなら、写真にして遺影だけでも作業料・特急料などの手間賃を上乗せし、10倍以上の金額を提示してあげればよいかと。実際10倍で間に合うかどうか。
しかし大切なのは、コンピュータで映像出力するのは、あくまでもビジネスモデルが成り立ち、おカネに転換できることである。
これが出来ないなら、最近、流行りだしたプロジェクションマッピング(もうすでに忘れかけられているのか?)かVRを活用するしかない。
しかし、それは葬儀の本来の姿をすでに見失っている。
業者の自慰行為でしかない。そこに気づいて欲しい。
私の会社は、もちろんサイネージを提供するが、あくまでも補助として葬儀社さんに活用してもらう道具である。
祭壇までサイネージにしてしまったら、次は僧侶までサイネージでいいのでは。
昔からお寺さんの費用が工面できない人たちでどうしても読経が必要と言う場ではお経テープで流していた時代もあった。今ならお寺さんもリアルタイムでライブ・ストリーミングも可能になる。ここまで来たら、葬儀そのものの価値どころか、お寺さんの価値もなくなるし、故人の存在すら意味がなくなる。
One thought on “映像の祭壇”